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2013年10月10日 (木)

在宅医療とQOD(死の質)とは

母親の介護 (nursing care) に関わるようになって、8年目くらいになります。

郷里の呉市にある救急病院への往復から始まって、転院、広島市内の病院への二都市間を往復する受診、そして同居を開始しては広島市内病院への通院・入院をサポートしてきました。

そして、病変を契機として在宅医療 (home medical care) サービスを受けるようになって1年4か月余り経ちました。在宅医療は、外来・入院についで「第三の医療」と呼ばれています。

お世話になっている在宅専門クリニック「コールメディカルクリニック広島 」で院長をされている岡林清司先生が書かれた、「コール先生の往復日記II」。開院後3年間は一度も浴槽に浸かれなかったというコール先生の熱い思いに胸を打たれました!






途中までしか読んでいなかったのですが、やっと読み切ることができました。
(ALS(筋萎縮性側索硬化症)という進行性の病気と闘いながらの生活を手記として発表された、中村純明さんとの共著です。)

今読んでこそ、副院長である担当医師(F先生)と看護師さんたちのこれまでの診察・治療や、一言一言発せられた言葉の意味がよく理解できたような気がします。

母親の場合、在宅医療に切り替えて本当に良かったと思っています。
ただし、ご縁を持てたクリニック、そしてスタッフの医師や看護師さんたちのクオリティが医療レベル・人格とも優れていたからに他ありません


政府による在宅医療への法整備や政策誘導
がありますが、在宅医療を行う診療所等の四割は時間外往診をせず、看取ることもしない現状があるそうです。

お世話になっているコールメディカルクリニック広島では、常勤医師はすべて救急医で、24時間365日体制をとっています。また、自宅にいながら検査・処置・注射などの外来で受けられるほとんどの医療サービスが受けられます。



在宅医療というと、高齢者の末期癌患者に対する緩和ケア(palliative care) というイメージがありますが、交通事故の後遺症や難病と闘っている子供や若年の成人も在宅医療の対象なのです。

そうです!私たちだって、いつ身体の自由を失ったり、明日への希望を失うような病気にかかって対象となるかもしれないのです。

最近、「癌は病院でつくられる」「長生きしたければ病院に行くな」といった趣旨の本がよく売れたり、高齢者に対しては「胃瘻はつくるな」とか「医療者は自然死を邪魔するな」といった記事をよく目にします。


慶応大学病院近藤誠医師が刊行した「医者に殺されない47の心得」は、100万部を突破するベストセラーになったそうです。



確かに、現行の診療報酬方式の下での医療機関の利潤追求により、過剰な治療・検査延命治療が問題であるのは事実です。

でも、どこからが過剰で、どこからが無駄な延命なのでしょうか。


病人を抱える家族は、絶えず「選択」を迫られています。
病院では、検査、入院、手術、造影剤注射等、十分に考える間もなく同意書に署名を求められ、最後には人生の終着点の過ごし方、死に場所まで決断を迫られます

患者自体は、弱った身体で意思表示が十分にできなかったり、意思はあれどそれを自ら実行に移すことができません。つまり、自分の人生の終わり方に意思を行使できない状態にあります。


意思とは異なった不本意な人生の終わり方。。.。



そこで、日本の医療システム・イノベーションを通じてQOL (Quality of Life) と同様に、QOD (Quality of Death) の向上が求められています。

2010年、Economist Intelligence Unit (EIU) の調査によると、日本の死の質 (QOD) は世界で23位、1位は英国だそうです。(評価項目は、終末期医療に対する国民意識、医療従事者への訓練、鎮痛剤投与状況、GDPの割合等)

随分、低いのですねbearing


QOL(生活の質)が人間らくしく満足して暮らしているかを評価する概念であるのに対して、QOD (死の質)は、死と死に至るまでのプロセスの本質のことを言います。

ゆりかごから墓場まで」をスローガンとする福祉大国イギリスについては、前著の中でコール先生も言及されています。世界で最初にホスピスを開いた「セントクリストファー・ホスピス」の緩和ケアについての考え方についてが書かれています。


セントクリストファー・ホスピスでは、「患者・家族が諦めて死を渇望した時にも、その人生を肯定し、適切な緩和療法を導入し支える」ことを提唱しているそうです。明確に、「適切な緩和治療は”無駄な延命治療ではない”」としています。


コール先生も、必要な「治療」は、患者さんの状態や家族との関係性、医療者との関係性によって決まる、としています。医療行為も「使いよう」が肝心で、自然死の勧めは、一歩間違えると「放置死」につながると考えていらっしゃるようです。「最後まで人生を肯定する」のが、在宅医療であると。。。

その点で、私の意見も一致しています。もちろん苦痛を伴うような治療や検査をしてまで終末期の患者の延命をする必要はないかもしれません。でも、緩和ケアの一環としての医療は、本人にまだ生きる気力がある場合、残りの人生を支えるために必要と考えます。

どこで、緩和ケアの中での治療をせずに自然にまかせるか。それは、患者本人の状態を見極める医師の判断が一番大きいような気がします。

幸い、私は今の担当医を全面的に信頼しているので、母親の最期については先生とうまくコミュニケートできると信じています。



これまでのEBM (Evidence Based Medicine: 科学的根拠に基づいた医療)に加えて、NBM (Narrative Based Medicine: 物語に基づいた医療)が注目されてきています。医療教育情報センターによると、NBMについて「"ナラティブ"は「物語」と訳され、患者が対話を通じて語る病気になった理由や経緯、病気について今どのように考えているかなどの「物語」から,医師は病気の背景や人間関係を理解し、患者の抱えている問題に対して全人的(身体的、精神・心理的、社会的)にアプローチしていこうとする臨床手法」であるとしています。


EBMとNBMは対立するものではなく、統合的に実践することが求められていますが、コール先生も「医療はサイエンス(科学)とアート(技術)をベースというよりも、むしろヒューマニティーをベースとし、サイエンスとアートをツールとして患者に向かい合わなければならない。」と考えられています。


我が家の場合も、最近急に次々と身体の機能に変化が見られて全くの全介助状態となりました。

私も腰を痛めたうえに両足まで痺れ、食事介助が終わると一日が終わったような時間になります。デイサービスも、ショートステイも病院が併設されている施設に変更したり、わずか30分ですが、週に2回訪問ヘルパーさんにも手伝ってもらい始めました。

そんな中で分量を調整しても仕事をこなすのは大変です。勉強時間を見つけるのは至難の業です。「や、やめたい」と悪魔の声が囁いたりもします。

私は小さい時から結構自立していたので、子供の頃は、兄や姉に比べて母親との関係は希薄だったような気がします。

1377548_516156101800763_1747292210_                     こんな感じ??

そして、人生の最後を共に過ごし、成人になるまで蚊も殺せなかった私が、出血、嘔吐物、汚物を冷静に処理するようになりました。きっと注射だってしろと言われたらできるような気がします。濃密な時間の中で、親子を越えた関係にもなりました。


これを成長と呼ぶか、無駄な苦労と言うかは今後の私次第なのでしょうね。


でも、小さい子供を抱きしめるように、大人の自分が高齢者や身体の不自由な人にはそっと手をさしのべる。それは当たり前かもしれません。

時々キレそうになる未熟な私ですが、相互扶助のためのソーシャル・キャピタルも改善され、個人も自分だけに目を向けるのではなく、お互いが人生を肯定できるような助け合いができる世の中であってほしいと切に願います。

そして私も、できる範囲で自分の仕事や生活は確保していき、自分を見失わない。
マイペース(*゚▽゚)ノ! マイペースscissors

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コメント

Akoronさん、まいどです~。

本当に、いつもAkoronさんの頑張りには頭が下がります。
でも、なかなか難しいとは思いますが、腰は大事になさってね。

ほぼ専門家にお任せした状態だった私が偉そうに言えることではありませんが、親の介護や看取りは、少なくともその後、自分の老後を現実のものとして考えるきっかけとなったような気がします。

元気なうちからの意思表明は大事だと思いますが、身体や気持ちが弱るにつれて、その意思も変わってくると思います。その時々で、親、子供、担当医師が思うところを言い合える関係が理想なのかもしれませんね。なかなか難しいと思いますが。

ではでは~。
季節の変わり目ですので、どうぞお身体ご自愛ください。

Sayoさん、まいど~です(笑)!

経験者のSayoさんには愚痴を聞いてもらって、いつもありがと
うございます。この間の「諦め」の記事も、色々思うとこ
ろがあって勉強になりました。

Sayoさんの「人のせいにしない」を心に刻んで、諦めを重ねつ
つ、でもまた新たにチャレンジできるオバチャンでいたいと思っ
ていますよ(*^-^)。

でも、日本の医療や福祉も、もっと個人を大事にした個別判断
ができるシステムを整備してもらいたいですよね。
来月はお目にかかれそうなので、また相手してやってください
ませ。

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