« 第4回勉強会~医薬翻訳者のがんばり!~ | トップページ | 勉強会サイト更新のお知らせ! »

2015年3月13日 (金)

人間の尊厳と「生きる」

「生きる」ことは難しい、とつくづく感じます。問題は、「どう生きるか」にあるのかもしれません。

ある日突然、災害などで大切な人や家族・友人を失った人の悲しみを考えると、「生かされている」だけで自分は恵まれた立場にいることにも気づきます。

3月11日。東日本大震災から4年を迎えました。未曾有の大災害により、犠牲となられた皆さまに心から哀悼の意を表します。

さて、先週末は、あるお医者様にお会いする必要もあって「胃瘻と経腸栄養療法研究会」に参加してきました。

Img_2634

何だか、どんよりとした気持ちで参加しました。その前日、調子が悪くて早めにベッドに入った私は偶然あるTV番組を見ました。

ある美人女優さんの「くも膜下出血で脳死からの復帰の戦い」を取り上げているところでした。2時間サスペンスでよくお見受けした、とても美しい女優さんです。どこか寂しげでありながら凛としたまなざしがとても好きでした。



ベッドに横たわった彼女は手足が硬直し、気道確保のために喉には管が通され、食事は直接胃に流動食を流し込んでいるようでした。意識障害もあり、医師によると、意識を取り戻し回復する確率は限りなくゼロに近いそうです。

そうです。胃瘻は決して高齢者だけに起こる問題ではないのです。
美しかった彼女の変わり果てた姿に涙が出ました。

わずか数パーセントの復活の可能性にかける夫の奮闘ぶりも紹介されていましたが、女優でなくても同じひとりの女性として、苦痛に歪んだような彼女の顔を晒すのはひどく残酷であり、意志を示せない彼女の人間としての尊厳はどこにあるのだろう、と悲しくなりました。

まして、結婚して半年で夫の4億もの借金のしわ寄せを受け、離婚することもなく極貧生活をしながら完済というご苦労をされたKさん。

現在、ご家族(夫)は、家賃滞納、公共料金未払いの状態であり、医療費を支払うためにもネット上で「応援する会」と銘打ってグッズ販売も始められているようです。

わずかな可能性に賭けたいご家族の気持ちが分からない訳ではありません。お金という現実的な問題もあります。マスメディアを通してしか情報がなく、他人の私が口出しすべきことでないのは十二分に承知しております。
でも、女性として、女優として、個人として、彼女の尊厳はどこにあるのでしょう。TVで晒すことだけはやめてほしかった、と思わずにいられません。

さて、研究会の話に戻ります。

Demo
こちらは、高齢者ケアとしての胃瘻のお話でしたが、日本老年医学会はガイドライン立場表明2012」において、「胃ろう造設を含む経管栄養など何らかの治療が、本人の尊厳を損なったり苦痛を増大させたりする可能性があるときには、治療の差し控えや治療からの撤退も選択肢として考慮する必要がある」と明記してあります。

講演1・2では臨床・リハビリの実際についてのお話、そして引き続き嚥下機能評価と嚥下リハビリ実演がありました。

一番興味深かったのは、最後の特別講演3としてご登壇された東京大学大学院 人文社会系研究科 会田薫子先生の「胃瘻の決定のプロセスとACP(advance care planning)」についてのお話でした(臨床倫理)。

口から食べられなくなったとき、人工的水分栄養補給(AHN)の導入が検討されるわけですが、その投与法として
1) 経鼻胃管
2) 胃瘻
3) PPN (末梢静脈栄養)
4) TPN(中心静脈栄養)  があります。

この中で胃瘻は長期の経腸栄養に向いています。ACPは「本人・家族が医療者と相談しながら医療に関して計画し意志決定するプロセス」なので、「本人がその人生において大切にしてきたことや価値観・死生観を家族らと医療者が探り、納得できる共同の意志決定を目指す」ことに重点を置いています。

ここでは、精神と身体を包括した全人的存在として「人格の尊厳」という言葉を使用されていました。

たとえば、終末期の患者さんで、コーヒーをいれて飲むことが何よりも大好きだった人がいたとすると、胃瘻で本人の尊厳を損なったりするよりは、AHNを停止して好きだったコーヒーで氷を作って口の中に入れてあげる、という例を示されました。栄養が取れないので当然死は早まりますが、「本人にとっての最善を実現しようとしている」ということになるのでしょうか。

臨床側としては胃瘻の不施行で亡くなった場合の訴訟の問題や家族の感情問題もあり、また家族側としても高齢者の年金問題があります。

まだ若くて元気なうちは、誰も「胃瘻までして生きたくない」と言います。
でも、倒れる前日までのQOL(生活の質)がとても高く、胃瘻でまだまだ生存できる場合もあります。
わずかでも、口から食べられる可能性が残っている場合もあります。
まだまだ、年齢的にも高齢とは言えない場合もあります。

AHNの医療行為を終了すべきか否か、判断は臨床の立場からだけでなく家族側としても難しい問題であるようです。
私も「献体登録」も含めて、自分の最後をどうありたいのか、よく考えてみようと思いました。



こんな時は、ほっとしたい!「くまのプーさん 小さなしあわせに気づく言葉
約400年前の中国の学者が書いた人生訓「菜根譚」を誰にでもわかりやすい言葉で紹介、説明をしている本です♡。プーさん、かわいい!





sun今日もポチッとしてね!いつもありがとうございますheart04

« 第4回勉強会~医薬翻訳者のがんばり!~ | トップページ | 勉強会サイト更新のお知らせ! »

医薬」カテゴリの記事

コメント

まいどです~。
またしんどい内容に向き合いましたね。
事前に本人の意志を確認し家族でよく話し合って、現実は胃瘻を実施するかどうか尋ねられてから決断までそう長くは待てないのが現実かと思います。「死の宣告」に等しい場合もあるし、家族が「しない選択」をするのは難しいことが多いかと。特に医師に「状況が改善する場合もあります」とか言われると(実際改善例が新聞で紹介されていたのを読んだこともあります)、心揺れるよね。その時に悩んで出した結論が最善の結論で、何を選ぼうとも後悔は伴うものなのかなというのが今の思いです。ふた親看てきて、自分の場合は「そこまでして生かしてほしくない」というのが正直な思いですが、旦那はそういう話はあんまりしたがらないので(まあ気持ちは分かる)、私は常に「私の意志はこうだけど、急なことで心の整理がつかない場合、旦那の心の整理がつくまで一時的に機械で生かす選択肢はありです。整理がついたら機械は外してください」と書いたものを所持しています。ヒトは最後は周りの人間のために生きるのだと思えば、みっともない死に方もありかなと。父を看てきて、少しそう思うようになりました。長くなりましたし、人によっては好みの分かれるコメントかなと思いましたので、今回はブログの方に投稿します。

Sayoさま。

コメントをありがとうございます。本当に、震災の日に引き続きこんな問題に向き合う時間はつらかったです。しかも震災の日に「遺体」を読んでいたという私・・・。

でも、Sayoさんはご自分の最後のことまで、既に色々考えられているのですねー。とはいえ、ご主人より自分が先、という前提ですか(..;)。でも、さすがです!!

さきほど、FBでは、お母さまの意志で胃瘻をせず、しかも病理解剖をしたというコメントをいただきました。本当に色々なケースがあるものですね。

自分も、家族も、ある日突然こんな状態になりうる可能性がある、自分にとっての明日は訪れないかもしれない、と思うようになりました。治療の選択でも署名の連続で、現実的には熟慮する余裕はないですね。そして自分も家族の治療の意志決定に関わった者として、ずっと複雑な思いは残っています。(食事に関しては、FBに書いたように亡くなる前日まで完食していました。ただ、うまく飲めなくなって、刻んだり、潰したり、調理時間と食事の介助ですごく時間がかかるようになり、その間、私はきちんと食事は取れませんでした。反対の手で合間に口に流し込んでいました(..;))

献体も、家族の同意が2名以上なければ実現しません。本人の意志はどこまで実現されるのか分かりませんが、意志を残しておく、伝えておくことは大事ですね。

そして、「人のために生きる」は、とても素敵なことだと思いますよ。ただ、私の場合、どんな姿でも生きていてほしい、と思ってくれる人がいないかも・・(汗)という根本的な問題に直面するかも・・・。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/581497/61273655

この記事へのトラックバック一覧です: 人間の尊厳と「生きる」:

« 第4回勉強会~医薬翻訳者のがんばり!~ | トップページ | 勉強会サイト更新のお知らせ! »